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時計をすすめてもらった。

ミュージカル「迷子」。

昨日を持って大千穐楽となり、無事に全公演、

1人も欠けることなく完遂しました。


ご来場くださったお客様。

大変ありがとうございました。


初日が開いてからクチコミで動員が増え、

日程の後半は満席の回が相次ぎ、

たくさんのお客様に囲まれて上演できました。


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この新作は、佳田亜樹さんが2019年にはすでに書き上げていたもので、

昨年から作曲の田中和音さんを迎えて、数回の俳優を交えたWSをした上での今回の上演だった。


僕はというと、

そのような前段階があったことは露も知らず、

出産安定期に入り始めた妻と7月末の出産(今月!)に向けて準備を進めており、

変更可能なレギュラーの仕事のみ続けて、属人性の高い仕事(主に舞台)は入れないように

数ヵ年計画で夫婦で相談して決めていた。

大きいミュージカルって大体1〜2年くらい前からオーディションして、出演者決めるので。

それが2月の終わりごろのこと。



以前のブログにも書いたが、

亜樹さんからはXのメッセンジャー機能を経由した突然のオファーだった。

あらすじを読んだ瞬間、身構えた。


どんな媒体であれ、

障害者モノ、病気モノを表現する時は、

現在進行形でそのことに直面している当事者がいる。


当事者でない人間(当事者であってもそうだが)が、

生半可な気持ちでやってはいけないし、本当の意味で理解する姿勢がないと

失礼になる。


僕の場合は、障害者家族の当事者の立場なので、

今まで障害のある人やコミュニティ、勉強の場、ボランティアなど、

おそらくそういった環境にかなり近いところで育ってきた方だと思うが、

障害者福祉の何かの機会に触れるたび

「いくら勉強しても、いくら知識を増やしても、

完全に理解することなどできない。

だから学ばなければいけないし、知らなければいけない。」

ということを学ぶ。

そして、学ぶ機会を家族を通して与えてもらった自分の人生は幸せだとも思う。


なので結局、必要なのは「理解」もそうなんだけど、

もっと重要なのは「姿勢」の方だと僕は思う。

この「理解する姿勢」というのが本当に難しいと常々思う。


2月末の話に戻る。

亜樹さんの台本を読んだ。

もう完本していて、音楽も出来上がっていた。

正直突っ込みたいところもあった(ごめんなさい)けれど、

すごく真摯に障害や病気と向き合って書いているということが文章の向こう側から伝わってきた。


もう一点。

自分には妻と初めて出産という未知のライフイベントを乗り越えなけらばならない。

今もその道中。


兄は母の子宮の中では健常児だった。

お産の際に産道で引っかかり、酸欠状態になっていたのに、

近くに担当医がいないという病院側のあり得ないミスで

「小児性脳性麻痺」という本来抱えなくて良かったはずのハンデを持って生まれてきた。


今、リアルタイムでお腹の子どもを大切に育てている妻を見ながら、

兄を産んだ時の母の気持ちを考えると、

目の奥が熱くなってくる。


女は10月10日かけて、あらゆることに細心の注意を払いながら、

お腹の子を育てて、激しい痛みと闘って出産する。

男にできることはない。

仕事して家事やって嫁さんの手引いて出産の時に背中さすって生まれたら市役所行くくらいである。


それでも、出産の際はそばにいたいとずっと思ってきた。


だから、

「迷子」の話がきたときの第一声は

「時期!!!!!!おい!!!!!」

だった。笑


2日考えて

「残念だけど断ろう」

と僕が言うと、


「はい、ストップ。

しょーもない舞台だったらキレるけど、

これは大ちゃんじゃないとできない内容なんだからやりなよ。

ギリ正期産の時期じゃないし。」

と言ってくれた。

ほんとにほんとに感謝。


ということで、

亜樹さんに出演したい旨を伝えて、出演する運びになったのが、

3月の頭くらいだったと思う。

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歌稽古と本読み稽古が

それから1ヶ月ほど経った、

4月の末から始まった。


ほとんどがWS参加者だったからか、

皆さんしっかり歌えている、、、。

いやもちろんちゃんと音取って練習して行ったけど、焦るわな。

母上役の佳美さんなんて本読みの段階でほぼセリフ入ってるし、、、。

いっそいでセリフと歌詞を覚えた。

でも特にセリフが!!!かなりの量で、電車の中で

ブツブツ念仏を唱える変な人を3ヶ月続けた。


あと、

これは2年前に出させてもらった雲母紙鳶の理鷹役をやった頃からやってることだけど、

堅一の自伝小説も書いた。

台本には書かれていない東京での一人暮らしのこととか、

大学生、就活、社会人、友人関係、上司との関係、恋愛のこととか

いろいろ考えるのはとても楽しい。


むかーし、芝居の師匠に

「役の履歴書をだね、書いて書いて書いて、書きまくって、それでもわからなかったら

その書いた紙を食べろ!」と言われたのを思い出した。

食べてないけど、それくらい自分の血肉にして舞台に立てということ。

(説明しなくてもわかるね野暮だね)


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さて、本番。


一番心配だったのはお客様の反応。

テーマがテーマなだけに下手したら怒って帰る人もいるかもしれない。

自分なんかより亜樹さんの方が心配だったんじゃないかと思う。

以前、「認知症」をテーマに劇作したら、よく思わないお客さんがいたと話していた。


お客様は基本的には好意的だった。(と、思う)


ダブルキャストで、1サイド6ステージ。

あんなに稽古したのに、一回一回がまるで違う手応えの舞台だった。

基本的に自分の出番でなくともずっと舞台上に居続ける演出だったので、

常にお客様の反応がわかってしまう。そして何より近い!


個人的に良かったなと思うことが二つ。


①兄がなんとか観劇できた

走ったり泳いだり自転車にも乗れた兄は、年齢と、太ったからか、

だんだんと身体能力が下がってきている。

できないことがあると気持ちも下がるので、ぶっちゃけ能力的にはできるはずなのに、

気持ちの方で負けてしまってできないことが増えてしまった。


今回の難関は劇場の階段である。

以前、雑居ビルの地下の劇場で1人芝居をした際、

兄はビルの階段を降りることができず、観劇が叶わなかった。


今回も地下中二階の受付スペースまでは降りることができたが、

さらに階下の客席に続く階段を降りることができなかった。


が、制作の方々が機転を効かせてくださって、

中二階にある秘密の小部屋のようなところから、階下の舞台面を見下ろす形で

観劇することが可能となった。


これは本当にありがたいことだった。

感謝します。


②母さんの責任なんかじゃないんだよ

兄は中学2年生の頃に、左足アキレス腱延長の手術をしたため、

数ヶ月間、平日は病院、週末は実家で生活する日々があった。


うちの母に限ったことではないが、基本的に障害児の親は

非常に強い。

兄の同級生の親たちもみな、ツワモノ揃いだった気がする。


あまり弱音を吐かない母ではあるが、

流石に日曜の夜に病院への送迎車に兄を乗せた後はかなりしっかり目に弱っていた。


「車に乗せて、窓から見える太郎(兄)の顔を見るのが辛い。

こんな辛い思いをさせているのは本当に親の私の責任だと思う」

と話していた。


小学6年生だった自分には、その時、母になんて言っていいかわからなくて、

自分の中で時計の針が止まったままだった。

ずっと後悔していて、ずっと迷子の状態だった。


演劇は別に俳優の個人的な気持ちの捌け口にするべきではないし、

そんなナルシストを観客として自分が見たら「おい金返せバカチンが。」と思うと思う。


だから、

なるべく堅一として、役として、

あの状況で、一番自然な形としてセリフを言えるように努めた。


だけど。

結果として公演が終わった今、

子どもの頃の自分の気持ちが成仏できたように思う。


亜樹さんと堅一に時計の針を進めてもらえた。

ありがとうございました。



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、、、、

長えわ!!!笑


ということで、

オファーをもらってから怒涛の数ヶ月だったけれど、

今幸せな気分でこの文章を書けています。


あー、もうすぐ産まれてくる〜。

楽しみだし不安だし早く赤子の顔見たいし

迷子終わっても全然落ち着かないよー!!!笑


次、いつ、こういうしっかり目に稽古(一定期間拘束されてしっかり製作する舞台って意味ね)して、

上演する作品に参加できるのか、

まぢで全然決まってないし、未知だけど、

もうちょっと演劇の世界にしがみついていようと思う。

たぶん歌は一生歌ってると思う。


来年の夏なら育児も落ち着く(予定)と思うから、

身体空いてるからね。

空いてるからねどこかの偉い人。


ということで、

相変わらずドキドキしながら月末を過ごそうと思います。


お客様、スタッフの皆様、共演者の皆様、

父ちゃん母ちゃん兄ちゃん、そして嫁さん。


本当にありがとうございました。








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