さて、
ここまで、オペラ→オペレッタ→ミュージカル
と舞台演劇に的を絞って話してきましたが、
舞台演劇以外の文化・社会的な背景として、
特筆しておくことが二点ほどあるな、と。
まずひとつめ、映画の話。
20世紀初頭まで、
映画はサイレント映画(無声映画)が主流でしたが、
科学技術の発達により、音声付きのトーキー映画(有声映画)が現れ、
人々の人気を掻っ攫っていきました。
その当時の社会や映画界を痛快に描いているのが「雨に唄えば」という作品です。
↑雨に唄えば(名作映画です。ジーンケリーがめちゃカッコ良い!)
こちらの作品についてはこのブログの本筋の話題がもうちょい進んだらまた触れます!
さてさてこれにより、
「映画の可能性」というものが一段と注目されました。
もちろん演劇界も黙っておらず。
音声も同時に放映することができるということで、1920〜30年ごろから、
「オペレッタを映画化していこう!」という動きが高まっていったのです。
もちろん目新しい試みであるし、今まで特定の層しか見られなかったものが、
大衆向けに映画化されるということでこちらも人気を博していきます!
アメリカ映画の本拠地ハリウッドで、
「音楽と歌とセリフで構成された演劇」が、映画化された瞬間でした。
ふたつめ。
ブロードウェーについて。
1910年代から、NYでは都市開発が進み、
道路、そして、地下鉄が急速に開発、整備されていきます。
今ではブロードウェーは「劇場が並ぶ繁華街」のイメージがありますが、
もともとの意味は、「大きな道」というものです。
さて、
地下鉄や道路の開発されていくと、人流や物流は当然急増します。
今も昔も変わりませんが、ヒトやモノが集まるところに
娯楽や観光は集中します。
というわけで、
この都市開発とともにブロードウェーの劇場数は、
かつてないほどの勢いで増えていったのでした。
↑20世紀初頭のブロードウェイ。
(引用元:https://www.at-broadway-musical.com/information/history/)
劇場が増えれば、もちろん演劇の公演数も増えるので、
「舞台俳優を志す若者たちはNYを目指す」という今にも通じる流れはこの頃
生まれたのでした。
たくさん仕事があったんでしょうね。
ええ時代や。
こんな感じで今回は、
特筆すべき二点を書き終えました。
生まれたてのミュージカル。
色々盛り上がってきましたが、
ここから、ミュージカルは波乱の道のりを歩むことになります、、、。
続く
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