まだミュージカルの話、しません。
次はオペレッタがどう誕生したかについて、
ほじくっていきます。
オペラの次にオペレッタというものが誕生します。
オペラは古代ギリシャ劇の再興が目的とされていることもあり、
ほとんどの題材が悲劇です。
「ギリシャ悲劇」ってワード、よく耳にしますよね。あれです。
悲しいです。
Bad end!です。
(※もちろんコメディ調のオペラもあります。)
それに比べて、オペレッタというものは、
軽いタッチで、喜劇がほとんどです。
オペラは貴族や王族など公人に向けて上演される、
いわゆるハイカルチャーであったのに対し、
オペレッタはもう少し庶民にも受けるように大衆化された文化であったと言えます。
「オペレッタ」の言葉の定義が「小さいオペラ」という意味合いも持つことからも、
大衆でも肩肘張らず観ることができたのだということがわかります。
オペレッタの特徴の一つとして、
オペラはクラシック出身の声楽家が演じるのに対し、
オペレッタは声楽家に混ざって地元のポピュラーシンガーも一緒に参加していたそうです。
それで、
ここからは僕の妄想と偏見が入ってくるんですが、
要するに
「何か新しいものが生まれるときって、必ず保守と革新の対立構造が出来上がる」んだと思うんですよね。
オペレッタの流れができつつある時、、、。
「クラシックとギリシャ悲劇以外に芸術などない!!なんだポピュラーシンガーって!アホか。」
って言ってる勢力と、
「新しくて面白いもの作りたいですよ〜。みんな違ってみんな良い。」
って言ってる勢力が、
お互い対立してたんじゃないかっていう妄想を僕は膨らませます。はい。
いろんな議論を呼びつつも、19世紀中頃フランスで生まれたオペレッタ人気は、
フランス→オーストリア→ドイツへと飛び火していきます。
そんでもって海を越えて、オペレッタが飛んでいった先が、
アメリカ大陸だったのです。
続く。
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